March 06, 2008

間違った拘泥り

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答えの出ない問いを解決しようと、必死になっていた。
答えを見つけなければ前へは進めない、
答えが見つかれば前へ進める、
そう信じていた。


「考えてもどうにもならないことは、考えないようにしている」

そう言った誰かを、羨ましく思った。
そんな簡単な単純なもんじゃないと、こっそり吐き捨てたりもした。

でも

「考えてもどうにもならないことは、考えないようにしている」

それは、
前に進んで行くためのひとつの武器であり、
「今の自分には立ち止まっているヒマなどない」と言う強い意志をも含んだ大切な言葉だった。

それに気付いて、はっとした。

ああ、拘泥るべき所が間違っていたんだ。
もっともっと、他にやるべきことが沢山あったんだ。
まさに心と時間を無駄使い。
頑張りどころを勘違い。


そのことに気付けたならば、これはきっとひとつのチャンス。
ウジウジを脱ぎ捨てて、自らで縛り上げた縄をほどいて、
本来の道へ、爽快な海原へ漕ぎ出すチャンス。
チャンスは貯金出来ない。
逃しちゃ駄目よ。
「無駄使い」に気付けたこの心を、無駄にしちゃ駄目。

今出来ることに、今すべきことに、
「出来る」ことへの喜びをもって
全霊を尽くすの。

誰のせいにも出来やしないわ。

何だって最後は、自分次第なのだから。


bukurox at 17:31│Comments(4)TrackBack(0)clip!

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この記事へのコメント

1. Posted by 月光のうたうたい花冬   March 06, 2008 19:14
由紀さんの痛みは…由紀さんしか抱きしめられない…そして由紀さんの様には誰ひとり生きて行く事など出来ない…

人は賢く…そして同時に愚かです

だからどうか…昨日も絶望も弱さも醜さも

明日と希望と強さと美しさに内包して

この世でたったひとりの

『関口由紀』でいてください

少なくともこの由紀帳に集うみんなが!

由紀さんの側にいます。

あっ!、酔っ払いの独り言ですので…♪(^o^;)
2. Posted by 中川   March 06, 2008 20:57
大切さの順番で言えば「考えること」は3番目だと聞いたことがあります。

禅問答というのも考えても答えの出ない問いであり、思考からの脱却が目的と聞いたことがあります。

そして目指したのが2番目の「感じる」こと
風を感じ、暖かな光を感じ、花の匂いを感じ
ただあるがままを感じること。

そして一番は、、、、、



「愛」です。
3. Posted by 裕介   March 06, 2008 23:35
由紀さんが「気づく」のも真剣に考えたが故、そして、受け入れる柔らかい心を持っているからでしょう。
時が経てば、悩んだ事も意外と懐かしく思い出せるようになると私は思っています。
4. Posted by ふじのはな   March 07, 2008 20:23
ただ…ただ…、由紀さんを見守っております…。

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